子供たちのお小遣い(のらやま通信 NO.81 2001年9月号)

子供たちのお小遣い

 幸水の出荷を終え、子供達の夏休みも終わりました。高校生の長男も寮に帰っていきました。今年も子供達に助けられた8月でした。

 

 我が家では子供達には決まった小遣いは与えていません。農家というのは毎月決まった収入があるわけでないし、働かないとお金にならないという現実を知ってもらうことも大事でしょう。そのかわり、家のためになった働きについてはきちんと作業賃を支払ってきました。はじめは家事の手伝い程度でしたが、小学校の高学年にもなると、軽い農作業のようなものもできるようになります。

 夏休みの梨農家は収穫、出荷で大忙しです。小学生でも宅配用出荷箱にチラシを入れること、選果機の計量台に実を置くこと、大きさごとに分別された実を箱詰めすることぐらいはできます。そのうち実の形状の善し悪しも判断できるようになり、親が欲目から多少の不整形果を見逃そうとしようものなら「子供の眼」のチェックが入ります。「これ送られたひと、かわいそう。」時給制なので早く仕事が終わったりすると、「もっと仕事はないの」といわれることもあります。

 早春から春にかけての我が家のごちそうは草餅です。家族みんなの好物で、子供達は小さい時から祖母に連れられて、どの草がヨモギなのか、いつ頃摘めばよいのか、草のどの部分を摘めばいいのか、摘んだ草をどう選別すればいいのか、などを教えられてきました。今年の春、町内にできた直売所へ草餅を出品することになり、ヨモギの葉1gを1円で買い取ることにしたら、娘達だけでヨモギ詰みにでかけるようになりました。

 子供達が自分達もお金を稼げると考えはじめたのは、数年前にカブトムシをフリーマーケットで売ったことがきっかけだったかもしれません。クヌギの苗を植えたところ、毎夏、カブトムシが集まるようになりました。売れるかもしれないと子供達に話したところ、学校のバザー行事そのままのノリで、看板を書き、呼び込みをして子供としてはけっこうな金額を手に入れました。今年の夏には小枝でカブトムシをつくり買ってもらおうとしましたが、運搬中に足がとれてしまい目論みは外れてしまいました。

 冬になると、梨の剪定枝拾いが子供達の仕事になります。「あまりおもしろい仕事でない」といいますが、拾い集めた枝を焼く一日掛かりの大きなたき火は好きなようです。火のついた枝を振り回したり、新しく持ち込まれた枝に火をつけようとしたりして遊んでいます。暗くなっても夜空に燃え上がる炎や火の粉に見とれています。

 我が家では剪定枝の大きいものは薪に、細いものは消し炭にして梨畑に還元しています。薪の利用は我が家のこだわりの一つです。山林を持たない分家は焚き木さえ集めるのも大変だったと7年前に亡くなった曾祖父はよく話していました。晩年は薪をつくって木小屋いっぱいに積んでおくというのが仕事でした。その「遺産」が残っていることもあって、6年前に風呂を改築した時も灯油と薪の二つのボイラーを重複して設備するという「無駄使い」をしました。居間にも薪ストーブを置き、風呂と同様、灯油やガスの暖かさとの違いを実感しています。

 こんな日常ですから子供達も小さいころから火というものには馴染みがあって、3人とも幼稚園の頃からマッチが使えます。薪ストーブの焚き付けは子供達が喜んでやっています。娘二人のどちらがやるかで喧嘩になり、交代制にしたこともあります。曾祖父の思いが少しでも伝わっていればいいのですが。

 子供の小遣い稼ぎは農作業の手伝いだけに限りません。我が家では梨や米の宅配先に届けるために、毎月、我が家の便り「のらやま通信」を発行しています。そのときどきの農作業や家族の様子をまとめるのですが、題材につまることもあります。そんな時、子供達にも話題提供してもらい、ものになりそうな題材なら謝礼を出すことにしています。

 長女にイラストを書いてもらったことがあってから、「ものがたりを書いたから、これを買って」といってきました。学校で習っていたダイオキシン問題と農作業の手伝いを盛り込んだものでした。(のらやま通信 2000年12月号より)

 子供達の働きは我が家の農作業の一部になっています。子供達も自分が働いた部分がお金として評価されていることが嬉しいようです。大人も子どももそれぞれに応じた仕事があって収穫の喜びを家族でわかちあえる、そんな生活ができたらと考えています。