生産者と消費者が同じ土俵に立って農薬について話せるようになりたいものです(のらやま通信 NO.95 2002年11月号)

食の安全性は何処で決着がつくのだろうか

 2002年8月下旬、栃木県産の梨が無登録農薬を使用していたとして、出荷された梨が市場から引き上げられるというニュースが大々的に報じられました。BSE問題、偽装表示問題、輸入野菜の残留農薬問題に続いて、食の安全性に対する信頼を裏切る事件になってしまいました。だから農薬はだめなのだという風潮も一部では高まったようです。しかし、この問題を化学農薬の是非という問題へ単純化してしまうと、ただ消費者は農薬を否定し農家は肯定するというようなことになり、討議の接点さえ見失ってしまいそうです。

 一時はスキャンダラスな報道もありましたが、最近はようやくマスコミでも論点を整理して報じられるようになりました。農薬の「安全性」についての論争はとうの昔に結論がでていると言われます。無害という意味ではなく、現段階の科学技術水準では害が認められないという判断ですが。残留農薬についても、現在承認されている農薬は分解が早く、よほど使用基準を守らない使い方をしなければ検査をしてもほとんど基準以下の数値であろうと思われます。

 身近な化学物質には、農薬の他にも家庭用殺虫剤や建築材料に含まれる種々の化学物質、医薬品などがありますが、同じ化学成分が農薬になったり、医薬部外品になったり、時には食品添加物に分類されることもあります。医薬品など化学物質による直接的なメリットがある場合には多少の毒性は許されるようです。農薬のように一般消費者が直接利益を受けることがない場合は安全基準が厳しいともいわれます。化合物と使用状況ごとにリスクとメリットを正しく評価することが重要と言えます。

 

 問題は農薬の使い方のモラルです。「安全性の面から禁止すべき農薬など存在しない。禁止すべき使い方があるだけだ」という考え方があります。もともと農薬の使用に際してはたくさんの制約があって、機会あるごとにPRされてきました。しかし、今回の事件からも、一部であれ、生産者が勉強不足であったりモラルが欠如していることが明らかになりました。

 7月の全国ナシ研究大会でわが家の父が、減農薬の最大の目的は農産物を差別化するためでも環境汚染への配慮でもなく(もちろん結果としてこれらの目的も実現されるでしょうが)、防除技術を研究することにより、そのことについて消費者ときちんと話をできるようになり信頼関係を築くためではないかと問題提起してきました。それからひと月もしないうちに、危惧していたことが社会問題化してしまいました。

 トレーサビリティー(栽培履歴の公開)とは、散布実績を評価して購入するかどうかを判断してくださいと農産物の安全性の半分の責任を消費者側に預けるようなものだとも思います。農薬について消費者と生産者が同じ土俵の上に立って話せるようになりたいものです。

 

 今回の事件をきっかけに農薬取締法の改正が検討されています。これまで販売者への罰則だけだったものを、使用者(農家)への罰則も付加するようです。また、農薬の購入から在庫管理、使用の記録まで厳しく監視される体制もできるかもしれません。一方で、農薬の適用拡大も検討されているようです。

 農薬は農作物を栽培する際に支障となる病害虫や雑草を防除するための薬剤であり、メーカーが作物毎に安全性をチェックしたデータをそろえて申請し、基準をクリアしたものだけが登録されます。開発費だけでなくさらに費用がかかりますので、売り上げの期待できないマイナー作物には適用申請しないという傾向があります。そのため「減農薬栽培」とうたっているハーブが実は適用する農薬がなかったという笑えない話もあるようです。さらに現状の農薬の定義を厳密に解釈すると、アイガモも「違法農薬」なのかという議論になってしまいます。

 化学農薬に代わる資材として注目されている木酢液なども要注意です。農薬登録も肥料登録もありませんから、何のために使っているのか苦しい説明になります。それ以前に安全性を保証するデータもありません。天然抽出物だから安全ともいえません。品質基準がありませんから、発ガン性のあるタール分がどれだけ含まれているかわかりません。

 

 農薬はその定義や適用の解釈、運用、使用モラルなど、社会的な側面に多くの課題を抱えています。我が身を自分で守るために、感情やうわさに流されることなく、きちんと情報を集めて判断していかねばならないようです。今回の事件をきっかけに我々もいろいろと勉強になりました。