農のくらしの中の子育て(のらやま通信 NO.96 2002年12月号)

先月、隣の我孫子市内の小学校で、わが家の母が“農のくらしの中での子育て”と題し、PTAのお母さん方を前にお話をする機会がありました。昨年から今年にかけて雑誌『食農教育』(農文協)に娘や父、母の書いたものが載ったことと、母がかつて教員であったこと、それに専業農家であることなどがちょっと面白がられたようです。その時のお話の概要を紹介します。

 我が家は4世代8人家族。梨と米を作って暮らしています。高校3年から小学6年までの一男ニ女の3人の子供たちを育ててきました。嫁に来て長男を出産したころは「ねえさん」と呼ばれていたものが今では「かあちゃん」。子育ては私が親になるためのプロセスでもありました。

 大家族の中での暮らしに気苦労があるのは事実です。よく思いきったものねと言われましたが、楽しいこともたくさんあります。8人の人間がいると親と子、祖父母と子、子ども同士など多様な人間関係があります。母である私はどうしても叱り役になるのですが、どんな時でも子ども達の逃げ場があって、年寄り達に補ってもらえたのはありがたいことです。特に曾祖母と亡くなった曾祖父のひ孫を絶対に怒らないという無条件の愛には感嘆したものです。

 母親の子育ての原点は出産時の産みの苦痛と喜びにあるように思います。その苦痛と喜びを知ったことで、子どもを無条件に愛せるのだと思います。生まれる時には五体満足であればと思っていたものが、そのうちあれもこれもと欲望が膨らんできます。子どもに過大な要求をしようとしていると気がついた時には、出産の時を思い出して自分にブレーキをかけてきました。そして、言葉かけが大切と考え、小さい頃から意図的に使ってきた言葉があります。①「お母さんはあなたが大好きよ」、②「あなたはお母さんの宝物だよ」、③「お母さんはいつでもあなたの味方だよ」の三つです。毎日、呪文のように3人の子供達に言ってきました。

 

 子供たちに自分は愛されているという意識付けをする一方で、子供達には農家の仕事の一部を分担させ、彼らの仕事をアルバイト代として評価してきました。農家は毎月決まった収入があるわけでもないうえ、働かないとお金にならないという現実を教えることも大事と考えました。家の仕事の手伝いに金を与えていいのか、子どもの遊び時間を奪っていいのかと悩ましい問題はあるのですが、家族と共に仕事をして、小さくとも自分のしたことが正当に評価されたことは感じてくれていると思います。

  草餅用のヨモギ摘み、1g1円。田植え時の苗箱洗い、一箱20円。

  カブトムシをフリーマーケットで売る。梨の出荷箱にチラシを入れる。梨の実の不整形度を見ながら選果機の計量台に実を置く。

 秋・冬 梨の幹の粗皮はぎと剪定枝拾い、等々。

 時には、子どもの作文やイラストをわが家通信に拝借することで原稿料を支払ってきました。自分のやったことが目に見える形で残ります。親の評価もはっきり示せますし、子供達もそれを自分で確認することができます。ちなみに子供達の「稼いだ」お金はメモに残しておき、実際のお金の管理は「お母さん銀行」が預かり、必要に応じて下ろしたり、時には貸し出したりしてきました。

 

 大人も子どももそれぞれに応じた仕事があって収穫の喜びを家族で分かち合える。こんな生活に小さな幸せを感じています。農家ならではの親子のコミュニケーションの取り方かもしれませんが、実は農作業で忙しいゴールデンウィークや夏休みに子どもを親の日常に取り込んでしまったともいえます。親子でコンビニ、親子で映画、…。同じ時間と空間を共に持つことにより、しかも親主導の場に子どもを置くことにより、親の考えや行動を見せられることから、子どもの視点からの何らかの評価なり感情が出てくると思います。そうなれば口も軽くなり、親子の会話も弾むかもしれません。

 また、食べる場は最良のコミュニケーションの場とも考えています。食べる「技」を親から子へ伝えたい。そのために子ども包丁を持たせ「台所育児」をしたらどうだろう。旬の野菜を味わい、炊きたてのごはんの香りを楽しむ経験を重ねて食べるとを大切にする人になってほしい。そんなことも期待しています。

 

 今年は長男は梨の収穫、長女は梨の摘果をほんの少し手伝っただけでした。彼らは学校の部活動に夢中で、子供達の親離れも急速に進んでいます。しかし、「親も子も忙しい。それぞれの世界がある」というのは言い訳で、子どもをしっかり見ることを忘れてはいないでしょうか。誉めようと思う気持ちでわが子を見て、それを言葉で表すことを心掛けています。

 最近では、ひいばあちゃんの世話をした長男を誉めました。洋服の選ぶセンスがいいと長女を誉めました。姉と自分の二人分のおやつを用意した次女を誉めました。誉められる快感を味わい、愛される経験を重ねていけば、いつかどこかで誰かに子供達も同じことをしてくれるのではないかと思います。「愛されることを知っている人は他の人も愛せる」なーんてね。ちょっと偉そうなまとめになってしまいました。